平成24年(行ケ)第10206号 審決取消請求事件
2013年8月29日
弁理士 辻田 朋子
技術部 村松 大輔
平成24年(行ケ)第10206号 審決取消請求事件
1.事件の概要
(1)本件特許発明と引用例
<本件発明に係る化合物>
実質的に(R)体を含有しない、(S)-4-〔4-〔(4-クロロフェニル)(2-ピリジル)メトキシ〕ピペリジノ〕ブタン酸・ベンゼンスルホン酸塩を有効成分としてなる、医薬組成物。
<引用文献に記載された化合物>
4-〔4-〔(4-クロロフェニル)(2-ピリジル)メトキシ〕ピペリジノ〕ブタン酸・ベンゼンスルホン酸塩(光学異性についての特定がされていない)
原告はラセミ体が開示されている文献を引用として、光学異性体に係る被告特許について、新規性及び進歩性違反の無効理由を主張して無効審決を請求したが棄却審決がなされた。
(2)本件特許無効審判における審決の理由の要旨
本件特許発明に係る特許は、特許法29条1項3号及び同条2項の規定に違反してされた
ものとすることはできない。
(3)取消事由
取消事由1:新規性についての判断の誤り
取消事由2:進歩性についての判断の誤り
2.争点
ラセミ体が開示されている場合、一の光学異性体に係る発明は新規性及び進歩性を有するか。
3.裁判所の判断
(1)新規性について
本件特許の優先日における技術常識を参酌すれば、ある化学物質の発明について光学異性体の間で生物に対する作用が異なることを見出したことを根拠として特許出願がされた場合、ラセミ体自体は公知であるとしても、それを構成する光学異性体の間で生物に対する作用が異なることを開示した点に新規性を認めるのが相当である。
(2)進歩性について
(前略)実質的に(R)体を含有しない、(S)体である本件化合物は、本願出願時の技術常識を考慮しても、当業者が容易に得ることができなかったものであるとしたことは誤りであるけれども、本件特許発明1の実質的に(R)体を含有しない、(S)体である本件化合物は、審決が認定した甲2発明における本件化合物と比較して当業者が予測することのできない顕著な薬理効果を有するものであると認定判断した点に誤りはなく、結局のところ、本件特許発明は甲2発明に対して進歩性を有するものとした審決の判断は、結論において誤りはない。
4.考察
本判決は光学異性体の新規性、進歩性の判断基準を示した非常に重要な判例であるといえる。すなわち、本判決においては、ラセミ体が開示されていても、それを構成する光学異性体間で生物に対する作用が異なることを開示する点に新規性及び進歩性が認められるということが判示された。そして、ラセミ体から一の光学異性体を分離することが当業者にとって容易であったとしても、その光学異性体がラセミ体に比して、当業者の予測を超える有利な効果を有することが認められる場合には、進歩性が認められるということも示された。
なお、原告は東京高裁平成3年判決及び運用指針(昭和50年10月特許庁策定)を根拠として、ラセミ体が開示されていれば、(R)体及び(S)体がそれぞれ開示されていると見るべきであると主張した。
しかし、東京高裁平成3年判決について裁判所は「東京高裁平成3年判決は、昭和53年1月31日を優先日として特許出願された発明の新規性を否定した審決の取消しを求める審決取消訴訟において、一対の光学異性体から成るラセミ体が刊行物に記載されている場合、その一方を単独の物質として提供する発明の新規性を有するか否かが争われた事案について、光学異性体は、一般に、旋光性の方向以外の物理的化学的性質においては差異がないから、ラセミ体の開示をもって光学異性体が開示されているというべきであるとして上記発明の新規性を否定した判決であり、本件特許の優先日(平成8年12月26日)の技術常識を参酌したものでないことは明らかであるから、同判決を本件について適用すべき裁判例ということはできない。」と判断した。
そして、運用指針については、「本件特許の優先日における技術常識は,昭和53年当時には未だ技術常識として確立していなかったのであるから,昭和50年当時にも技術常識として確立していなかったことは明らかである。本件特許発明の新規性の有無については,本件特許の優先日(平成8年12月26日)における技術常識に照らして判断すべきであり,運用指針の規定を根拠とするのは誤りである。」と判断した。
参考
・東京高裁平成3年10月1日判決
一対の光学異性体(光学的対掌体)からなるラセミ化合物(ラセミ体)である(R,S)α-シアノ-3-フェノキシベンジルアルコールが引用例に開示されている場合に、同ラセミ体を形成する一対の光学異性体の一方である(S)α-シアノ-3-フェノキシベンジルアルコールの発明は、製造方法の記載が無くとも同引用例に記載されているというべきである。
・運用指針「物質特許制度及び多項制に関する運用基準」(昭和50年10月特許庁策定)
立体異性体の存在が自明でない化学物質の発明と,その立体異性体の発明とは,原則と
して別発明とする。(なお,ここでいう自明とは単純な光学異性体のように,不整炭素原子の存在により,その光学異性体の存在が明らかである場合をいう。)
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