平成25年(ネ)第10043号 債務不存在確認請求控訴事件等(知財高裁大合議事件)
平成26年6月6日
判例航海日誌
みなとみらい特許事務所
弁理士 村松大輔
平成25年(ネ)第10043号 債務不存在確認請求控訴事件
平成25年(ラ)第10007号 特許権仮処分命令申立却下決定に対する抗告申立事件
平成25年(ラ)第10008号 特許権仮処分命令申立却下決定に対する抗告申立事件
FRAND宣言をされた特許権に基づく差止請求権、損害賠償請求権の行使が争点となった。
1.FRAND条件とは?
ある企業の特許が技術標準として採択される場合、他企業がその特許を使用する時、特許権利者は「公平で、合理的、かつ非差別的(Fair, Reasonable, and Non-discriminatory)」に協議しなければならないという義務。
2.事件の概要
・2006(H18)年 5月4日
サムスンによる本件特許出願
・2007(H19)年 8月7日
サムスンがETSIに対して本件FRAND宣言を行った。
・2010(H22)年 12月10日
本件特許出願について特許査定
・2011(H23)年 4月21日
東京地裁へサムスンが特許4642898に基づきアップル製品の仮処分申請
・2011(H23)年 4月29日~
アップル、サムスン間における書簡によるライセンス交渉。ロイヤルティ料率
・2011(H23)年 9月16日
アップルが自社製品に関してサムスンの標準特許4642898号の損害賠償をする必要が無い事を確認する訴訟を提起(債務不存在確認訴訟)
・2013(H25)年 6月21日
東京地裁(特許権仮処分命令申立)
特許4642898号に基づくiPhone4及びiPad2Wi-Fi+3G(平成23(ヨ)22027の係争品)並びにiPhone4S(平成23(ヨ)22098の係争品)の差止請求権の行使は権利濫用に当たる。
・2013(H25)年 6月21日
東京地裁46部判決(平成23(ワ)38969 (債務不存在確認請求))
iPhone 4及びiPad2Wi-Fi+3Gは特許4642898号の範囲内で、本件特許に無効事由は無い。しかし、サムスンの実施権契約の交渉態度はFRAND宣言をした者として信義誠実に反するので、損害賠償請求権の行使は権利の濫用として許されない。
・2014(H26)年 1月23日
大合議事件に指定。パブリックコメントを募集。
・2014(H26)年 5月16日
知財高裁大合議(平成25年(ラ)第10007及び(ラ)10008(特許権仮処分命令申立却下決定に対する抗告申立)
iPhone 4及びiPad2Wi-Fi+3Gは本件特許権の技術的範囲内で、本件特許に無効事由は無い。しかし本件特許権の差止請求権の行使は権利濫用に当たる。
・2014(H26)年 5月16日
知財高裁大合議(平成25(ネ)10043(債務不存在確認請求の控訴))
iPhone 4及びiPad2Wi-Fi+3Gに対する損害賠償請求は,FRAND条件でのライセンス料相当額を越える部分では権利の濫用であるが、上記ライセンス料相当額の範囲内では権利の濫用に当たらない。サムスンのアップルに対する実施料相当額の損害賠償請求権(約995万円及び遅延損害金)を認める。
3.知財高裁大合議部の判断
・差止請求権について(平成25年(ラ)第10007号)
UMTS規格に準拠した製品を製造,販売等しようとする者は,UMTS規格に準拠した製品を製造,販売等するのに必須となる特許権のうち,少なくともETSIの会員が保有するものについては,ETSIのIPRポリシー4.1項等に応じて適時に必要な開示がされるとともに,同ポリシー6.1項等によってFRAND宣言をすることが要求されていることを認識しており,特許権者とのしかるべき交渉の結果,将来,FRAND条件によるライセンスを受けられるであろうと信頼するが,その信頼は保護に値するというべきである。したがって,本件FRAND宣言がされている本件特許について,無制限に差止請求権の行使を許容することは,このような期待を抱いてUMTS規格に準拠した製品を製造,販売する者の信頼を害することになる。
必須宣言特許を保有する者は,UMTS規格を実施する者のかかる期待を背景に,UMTS規格の一部となった本件特許を含む特許権が全世界の多数の事業者等によって幅広く利用され,それに応じて,UMTS規格の一部とならなければ到底得られなかったであろう規模のライセンス料収入が得られるという利益を得ることができる。また,抗告人による本件FRAND宣言を含めてETSIのIPRポリシーの要求するFRAND宣言をした者については,自らの意思で取消不能なライセンスをFRAND条件で許諾する用意がある旨を宣言しているのであるから,FRAND条件での対価が得られる限りにおいては,差止請求権を行使することによってその独占状態が維持できることはそもそも期待していないものと認められ,かかる者について差止請求権の行使を認め独占状態を保護する必要性は高くないといえる。
相手方を含めてUMTS規格を実装した製品を製造,販売等しようとする者においては,UMTS規格を実装しようとする限り,本件特許を実施しない選択肢はなく,代替的技術の採用や設計変更は不可能である。そのため,本件特許権による差止請求が無限定に認められる場合には,差止めによって発生する損害を避けるために,FRAND条件から離れた高額なライセンス料の支払や著しく不利益なライセンス条件に応じざるを得なくなり,あるいは事業自体をあきらめざるを得なくなる可能性がある。また,UMTS規格には,極めて多数の特許権が多くの者によって保有されており…,これらの多くの者の極めて多数の特許権について,逐一,必須性を確認した上で事前に利用許諾を受けることは著しく困難であると考えられ,必須宣言特許による差止請求を無限定に認める場合には,事実上UMTS規格の採用が不可能となるものと想定される。以上のような事態の発生を許すことは,UMTS規格の普及を阻害することとなり,通信規格の統一と普及を目指したETSIのIPRポリシーの目的に反することになるし,通信規格の統一と普及によって社会一般が得られるはずであった各種の便益が享受できない結果ともなる。
必須宣言特許についてFRAND条件によるライセンスを受ける意思を有する者に対し,FRAND宣言をしている者による特許権に基づく差止請求権の行使を許すことは,相当ではない。
他面において,UMTS規格に準拠した製品を製造,販売する者が,FRAND条件によるライセンスを受ける意思を有しない場合には,かかる者に対する差止めは許されると解すべきである。けだし,FRAND条件でのライセンスを受ける意思を有しない者は,FRAND宣言を信頼して当該標準規格への準拠を行っているわけではないし,このような者に対してまで差止請求権を制限する場合には,特許権者の保護に欠けることになるからである。もっとも,差止請求を許容することには,前記のとおりの弊害が存することに照らすならば,FRAND条件によるライセンスを受ける意思を有しないとの認定は厳格にされるべきである。
以上を総合すれば,本件FRAND宣言をしている抗告人による本件特許権に基づく差止請求権の行使については,相手方において,抗告人が本件FRAND宣言をしたことに加えて,相手方がFRAND条件によるライセンスを受ける意思を有する者であることの主張立証に成功した場合には,権利の濫用(民法1条3項)に当たり許されないと解される。
・損害賠償請求権について(平成25年(ネ)第10043号)
本件FRAND宣言によってライセンス契約が成立したかについて
(省略)本件FRAND宣言がライセンス契約の申込みであると解することはできない。
本件特許権の行使が権利濫用に当たるかについて
◇FRAND条件でのライセンス料相当額を超える損害賠償請求
UMTS規格に準拠した製品を製造,販売等しようとする者は,UMTS規格に準拠した製品を製造,販売等するのに必須となる特許権のうち,少なくともETSIの会員が保有するものについては,ETSIのIPRポリシー4.1項等に応じて適時に必要な開示がされるとともに,同ポリシー6.1項等によってFRAND宣言をすることが要求されていることを認識しており,特許権者とのしかるべき交渉の結果,将来,FRAND条件によるライセンスを受けられるであろうと信頼するが,その信頼は保護に値するというべきである。したがって,本件FRAND宣言がされている本件特許についてFRAND条件でのライセンス料相当額を超える損害賠償請求権の行使を許容することは,このような期待を抱いてUMTS規格に準拠した製品を製造,販売する者の信頼を害することになる。
必須宣言特許を保有する者は,UMTS規格に準拠する者のかかる期待を背景に,UMTS規格の一部となった本件特許を含む特許権が全世界の多数の事業者等によって幅広く利用され,それに応じて,UMTS規格の一部とならなければ到底得られなかったであろう規模のライセンス料収入が得られるという利益を得ることができる。また,本件FRAND宣言を含めてETSIのIPRポリシーの要求するFRAND宣言をした者については,自らの意思で取消不能なライセンスをFRAND条件で許諾する用意がある旨を宣言しているのであるから,FRAND条件でのライセンス料相当額を超えた損害賠償請求権を許容する必要性は高くないといえる。
したがって,FRAND宣言をした特許権者が,当該特許権に基づいて,FRAND条件でのライセンス料相当額を超える損害賠償請求をする場合,そのような請求を受けた相手方は,特許権者がFRAND宣言をした事実を主張,立証をすれば,ライセンス料相当額を超える請求を拒むことができると解すべきである。
これに対し,特許権者が,相手方がFRAND条件によるライセンスを受ける意思を有しない等の特段の事情が存することについて主張,立証をすれば,FRAND条件でのライセンス料を超える損害賠償請求部分についても許容されるというべきである。そのような相手方については,そもそもFRAND宣言による利益を受ける意思を有しないのであるから,特許権者の損害賠償請求権がFRAND条件でのライセンス料相当額に限定される理由はない。もっとも,FRAND条件でのライセンス料相当額を超える損害賠償請求を許容することは,前記のとおりの弊害が存することに照らすならば,相手方がFRAND条件によるライセンスを受ける意思を有しないとの特段の事情は,厳格に認定されるべきである。
◇FRAND条件でのライセンス料相当額の範囲内の損害賠償請求
FRAND条件でのライセンス料相当額の範囲内での損害賠償請求については,必須宣言特許による場合であっても,制限されるべきではないといえる。
すなわち,UMTS規格に準拠した製品を製造,販売等しようとする者は,FRAND条件でのライセンス料相当額については,将来支払うべきことを想定して事業を開始しているものと想定される。また,ETSIのIPRポリシーの3.2項は「IPRの保有者は・・・IPRの使用につき適切かつ公平に補償を受ける」(IPR holders …should be adequately and fairly rewarded for the use of their IPRs[.])ことをもETSIのIPRポリシーの目的の一つと定めており,特許権者に対する適切な補償を確保することは,この点からも要請されているものである。
ただし,FRAND宣言に至る過程やライセンス交渉過程等で現れた諸般の事情を総合した結果,当該損害賠償請求権が発明の公開に対する対価として重要な意味を有することを考慮してもなお,ライセンス料相当額の範囲内の損害賠償請求を許すことが著しく不公正であると認められるなど特段の事情が存することについて,相手方から主張立証がされた場合には,権利濫用としてかかる請求が制限されることは妨げられないというべきである。
まとめ
以上を総合すれば,本件FRAND宣言をした控訴人を含めて,FRAND宣言をしている者による損害賠償請求について,~ FRAND条件でのライセンス料相当額を超える損害賠償請求を認めることは,上記aの特段の事情のない限り許されないというべきであるが,他方,~ FRAND条件でのライセンス料相当額の範囲内での損害賠償請求については,必須宣言特許による場合であっても,上記bの特段の事情のない限り,制限されるべきではないといえる。」
本件に現れた一切の事情を考慮しても,控訴人によるFRAND条件でのライセンス料相当額の範囲内での損害賠償請求を許すことが著しく不公正であるとするに足りる事情はうかがわれず,前記特段の事情が存在すると認めるに足りる証拠はない。
本件について被控訴人にFRAND条件によるライセンスを受ける意思を有しない場合など特段の事情が存するとは認められない。
よって,控訴人による本件の損害賠償請求が権利の濫用に当たるとの被控訴人の主張は,控訴人の主張に係る損害額のうち,後記7のとおりのFRAND条件によるライセンス料相当額を超える部分では理由があるが,FRAND条件によるライセンス料相当額の範囲では採用の限りではない。
4.考察
本件は、日本で初めてFRAND宣言をされた特許権に基づく差止請求権、損害賠償請求権の行使が争点となった事件であり、判決が与える社会への影響の大きさから、パブリックコメントの募集も行われた。
東京地裁においては、FRAND条件下での差止請求権及び損害賠償請求権の行使は権利の濫用にあたり許されないとの判断が下された。かかる判断の下では、FRAND条件下においては実施料相当額の損害額の請求も行うことができないことになり、権利者と実施者との間の衡平の観点からも妥当ではないのではないかとの意見もあった。
一方、知財高裁大合議部は、FRAND条件でのライセンス料相当額の範囲内と範囲外の損害賠償請求についてそれぞれ論じ、ライセンス料相当額の範囲内の損害賠償請求権についてはこれを認めた。
本判決は権利者と実施者との間の衡平、標準化技術の普及の観点から至極妥当なものであると考える。
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