平成28(行ケ)10222 審決取消請求事件
判例航海日誌
平成30年1月10日
みなとみらい特許事務所
弁理士 村松大輔
平成28(行ケ)10222 審決取消請求事件
1.事案の概要
平成15年2月5日 特許出願(発明名称:焼鈍分離剤用酸化マグネシウム及び方向性電磁鋼板)
平成18年1月20日 設定登録
平成25年5月27日 特許無効審判請求
平成28年8月31日 無効審決
同年10月7日 審決取消訴訟提起
2.争点
サポート要件(特許法第36条第6項第1号):クエン酸活性度についての認定判断の誤り(取消事由1)
(本事件においては「Cl、F 等の微量成分についての認定判断の誤り」(取消事由2)も争点となっているが、本稿においては検討を省略する)
3.特許請求の範囲の記載
【請求項1】
方向性電磁鋼板に適用される焼鈍分離剤用酸化マグネシウム粉末粒子であって,該酸化マグネシウム粉末粒子中に含まれるカルシウムが,CaO 換算で0.2~2.0質量%であり,リンが,P2O3 換算で0.03~0.15質量%であり,ホウ素が,0.04~0.15質量%であり,かつ該酸化マグネシウム粉末粒子中の,カルシウムと,ケイ素,リン及び硫黄とのモル比Ca/(Si+P+S)が,0.7~3.0であることを特徴とする焼鈍分離剤用酸化マグネシウム粉末粒子。
(全2項、請求項2は省略)
4.審決の概要
各実施例及び各比較例の試験結果によれば,特定のCAA 値を有する酸化マグネシウムにおいて,本件微量成分含有量及び本件モル比を有する場合,本件課題を解決し得ることが認められる。他方,焼鈍分離剤用酸化マグネシウムにおいては,CAA 値とフォルステライト被膜の性能との間に相関関係があることは周知である。そうすると,CAA 値について何ら特定のない酸化マグネシウムにおいて,本件微量成分含有量及び本件モル比のみの特定をもって,直ちに本件課題を解決し得るとは認められない。
5.裁判所の判断
・・・本件各発明は、磁気特性及び絶縁特性、更にフォルステライト被膜生成率、被膜の外観及びその密着性並びに未反応酸化マグネシウムの酸除去性に優れたフォルステライト被膜を形成でき、かつ性能が一定な酸化マグネシウム焼鈍分離剤を提供すること、更に本件各発明の方向性電磁鋼板用焼鈍分離剤を用いて得られる方向性電磁鋼板を提供することを目的としたものである。
・・・当業者であれば、本件明細書の発明の詳細な説明の記載に基づき、焼鈍分離剤用酸化マグネシウムにおいて、本件特許の特許請求の範囲請求項1に記載のとおり Ca、P、B、Si 及び S の含有量等を制御することによって本件課題を解決できると認識し得るものということができる。
・・・本件審決は、本件明細書の各実施例及び各比較例の試験結果によれば、第1の系統及び第2の系統の実施例におけるCAA値が、CAA40%でそれぞれ110~130秒、120~140秒とされていることから、本件発明の課題が解決されているのは、CAA40%が上記数値の範囲内にされた場合でしかないとした上、焼鈍分離剤用酸化マグネシウムにおいて、CAA値とフォルステライト被膜の性能との間に相関関係があることは周知であるから、CAA値について何ら特定のない酸化マグネシウムにおいて、本件微量成分含有量及び本件モル比のみの特定をもって直ちに本件課題を解決し得るとは認められないとする。・・・焼鈍分離剤用酸化マグネシウムのCAAとサブスケールの活性度とのバランスが取れていない場合、フォルステライト被膜は良好に形成されないこととなるのは事実であるといえる。
しかし、本件明細書の発明の詳細な説明の記載から把握し得る発明は、焼鈍分離剤用酸化マグネシウムに含有される Ca、Si、B、P、S の含有量に注目し、それらの含有量を増減させて実験(実施例1~19及び比較例1~17)を行うことにより、最適範囲を本件特許の特許請求の範囲請求項1に規定されるもの(本件微量成分含有量及び本件モル比)に定めたというものである。その理論的根拠は、Ca、Si、B、P及び S の含有量を所定の数値範囲内とすることにより、ホウ素が MgOに侵入可能な条件を整えたことにあると理解される(本件明細書の【0016】。前記2(4)カ)。
他方、本件明細書の発明の詳細な説明の記載を見ても、CAA値を調整することにより本件課題の解決を図る発明を読み取ることはできない。むしろ、これらの記載によれば、本件明細書の発明の詳細な説明中にCAA値に関する記載があるのは、第1の系統及び第2の系統それぞれにおいて、実施例及び比較例に係る実験条件がCAA値の点で同一であることを示すためであって、フォルステライト被膜を良好にするためにCAA値をコントロールしたものではないことが理解される。
そして、CAAの調整は、最終焼成工程の焼成条件により可能である・・・から、焼鈍分離剤用酸化マグネシウムにおいて、本件微量成分含有量及び本件モル比のとおりに Ca、P、B、Si 及び S の含有量等を制御し、かつ、焼成条件を調整することによって、本件各発明の焼鈍分離剤用酸化マグネシウムにおいても、実施例における110~140秒以外のCAA値を取り得ることは、技術常識から明らかといってよい。
したがって、本件審決は、本件各発明の課題が解決されているのはCAA40%が前記数値の範囲内にされた場合でしかないと判断した点において、その前提に誤りがある。
そもそも、本件明細書によれば、本件特許の出願当時、焼鈍分離剤用酸化マグネシウムについては、被膜不良の発生を完全には防止できていないことなど、十分な性能を有するものはいまだ見出されておらず、焼鈍分離剤用酸化マグネシウム及び含有される微量成分について研究が行われ、制御が検討されている微量成分として CaO、B、SO3、F、Cl 等が挙げられ、また、微量成分の含有量だけでなく、微量成分元素を含む化合物の構造を検討する試みも行われていたことがうかがわれる(前記2(2))。
また、このこと及びフォルステライト被膜の性能改善を図る方法として、焼鈍分離剤用酸化マグネシウムに含まれる微量成分の制御とCAAの制御とが必ずしも不可分のものとまでは考えられていなかったことは、・・・裏付けられているといってよい。現に、証拠によれば、本件特許の出願当時、フォルステライト被膜の性能改善を目的とする焼鈍分離剤用酸化マグネシウムに係る発明には、これに含まれる成分の量等を発明特定事項とするもの(甲2~4、乙2、11)、CAA値を発明特定事項とするもの(甲1、乙4)、及びこれらをいずれも発明特定事項とするもの(甲5~7、乙3、5、6等)がそれぞれ存在していたことが認められる。
そうすると、本件特許の出願当時、フォルステライト被膜の性能改善という課題の解決を図るに当たり、焼鈍分離剤用酸化マグネシウムに含有される微量元素の含有量に着目することと、CAA値に着目することとが考えられるところ、当業者にとって、いずれか一方を選択することも、両者を重畳的に選択することも可能であったと見るのが相当である(なお、微量元素の含有量に着目する発明にあっても、焼鈍分離剤用酸化マグネシウムのCAA値とサブスケールの活性度とのバランスが取れていない場合には、その実施に支障が生じる可能性があることは前示のとおりであるが、この点の調整は、甲1、5~7、67、乙4等によって認められる技術常識に基づいて、当業者が十分に行うことができるものと認められる。)。
以上を総合的に考慮すると、当業者であれば、本件明細書の発明の詳細な説明には、本件微量成分含有量及び本件モル比を有する焼鈍分離剤用酸化マグネシウムにより本件課題を解決し得る旨が開示されているものと理解し得ると見るのが相当である。
6.検討
本件特許発明は、フォルステライト被膜の性能改善という課題の解決手段として、焼鈍分離剤用酸化マグネシウムに含有される微量元素の含有量に着目したものである。
他方、CAA値も、本件特許発明の解決課題に関するフォルステライト被膜の性能に影響を与えうるパラメータである。
本件審決では、本件発明の課題が解決されているのは、実施例に開示された一定の範囲のCAA値をとる場合に限られ、CAA値について何ら特定のない酸化マグネシウムにおいて、焼鈍分離剤用酸化マグネシウムに含有される微量元素の含有量の特定をもって直ちに本件課題を解決し得るとは認められないとするものである。
かかる審決に対して、裁判所は、以下の2点を考慮したうえで、当業者であれば、本件明細書の発明の詳細な説明には、本件微量成分含有量及び本件モル比を有する焼鈍分離剤用酸化マグネシウムにより本件課題を解決し得る旨が開示されているものと理解し得ると見るのが相当であると判断した。
①CAA値の調整は、最終焼成工程の焼成条件により可能であるから、焼成条件を調整することによって、本件各発明の焼鈍分離剤用酸化マグネシウムにおいても、実施例以外のCAA値を取り得ることは、技術常識から明らかである。
②本件特許の出願当時、フォルステライト被膜の性能改善という課題の解決を図るに当たり、焼鈍分離剤用酸化マグネシウムに含有される微量元素の含有量に着目することと、CAA値に着目することとが考えられるところ、当業者にとって、いずれか一方を選択することも、両者を重畳的に選択することも可能であったと見るのが相当である。
本件審決が取り消された大きな要因は、クレームで特定した微量成分含有量とCAA値という2つのパラメータの間に、別個に制御可能であるという技術上の可分性があったこと、そして、特許出願当時において課題解決手段としての選択性があったことの2点にあると分析する。
7.実務上の指針
クレームで特定したパラメータ(以下、第1パラメータという)以外の他のパラメータ(以下、第2パラメータという)が発明の課題解決に重大な影響を与える場合がある。このようなケースにおいては、発明の課題を解決できないような値を第2パラメータがとる形態の発明がクレームの技術的範囲に含まれるため、形式上サポート要件違反の拒絶理由があるように見える。そのため、特に化学系の特許出願の審査過程においては、第1パラメータに加え、第2パラメータをクレームで特定するように要求されることがある。
本判例はこのようなケースへの応答に当たっての参考になると思われる。
すなわち、①クレームで特定したパラメータと審査過程で指摘された他のパラメータが別個に制御可能な関係にあること、また、②出願日当時における発明の課題解決手段としてこれら2つのパラメータに選択性があることを主張することが、サポート要件について実質的な認定判断を促すために有効であると考えられる。②の主張に際しては、本事件における書証に見られるように、出願日前にそれぞれのパラメータが独立して特定されている発明に係る特許出願を複数例示することが有効であろう。
以上
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