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    2019.10.29カテゴリー:

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    判例航海日誌

    令和1年10月25日

    弁理士 末広 尚也

    平成30年(行ケ)第10164号 審決取消請求事件

    「酸味のマスキング方法事件」

    <1> 事件の概要

     本件は,特許無効審判請求を不成立とした審決の取消訴訟である。

    (1)経緯

     発明の名称:「酸味のマスキング方法」

     平成9年2月12日:   出願(特願平9-27626号)

     平成19年2月16日:  設定登録(特許第3916281号)

     平成26年7月9日:   無効審判請求(無効2014-800118号)

     平成27年11月30日: 訂正請求

     平成28年6月10日:  無効審決(一次審決)

     平成28年7月14日:  一次審決に対する審決取消訴訟提起(※1)

     平成29年7月19日:  取消判決

     平成30年1月23日:  訂正請求

     平成30年7月11日:  請求不成立審決(本件審決)

     平成30年7月20日:  審決謄本送達

     平成30年11月15日: 本件審決に対する審決取消訴訟提起

    ※1 一次審決において無効の理由となった訂正要件違反のみを争った裁判である。

    (2)争点
    争点は,①進歩性に関する判断の誤り(取消事由1),及び②サポート要件に関する判断の誤り(取消事由2)である。

    (3)結論
    本件審決の進歩性に関する判断には誤りがあるので、原告の取消事由1は理由がある。したがって、本件審決中、請求項1に係る部分は取消しを免れない。

    <2> 本件発明の要旨

    【請求項1】(本件発明1)

    「 醸造酢を含有するドレッシング,ソース,漬物,及び調味料からなる群より選択される少なくとも1種の製品に,スクラロースを該製品の0.0028~0.0042重量%の量で添加することを特徴とする該製品の酸味のマスキング方法。」

    <3> 裁判所の判断(下線部は筆者による。以下同じ。)

    1 本件発明について

    本件明細書(甲73)には,次の各記載がある。

    ア 発明の属する技術分野

     この発明は,食品,医薬品及び医薬部外品などの経口摂取又は口内利用可能な製品の酸味のマスキング方法に関する(【0001】)。

    イ 従来の技術及び発明が解決しようとする課題

     酸味は,食品等において塩味,苦味,甘味などとともに総合的な味覚の完成に重要な要素であり,食品等に酸味剤などを添加することにより付与される場合がある(【0002】)。

     酸味を必要以上に要しない,あるいは酸味を呈しない方がよい場合には,従来,酸味剤以外の味覚成分などを大量に併用し,酸味を抑える方法が広く行われてきているが,この方法では,食品等の本来の風味又は物性を変え,また酸味剤などが持つ防腐などの効果までも抑制することがあるという問題があった(【0003】)。

    ウ 課題を解決するための手段

     本願の発明者らは,製品の物性などに影響を及ぼさないで,かつ酸味自体を改善することができる方法について種々の検討を行った結果,スクラロースが,甘味の閾値以下の量で意外にも過剰な酸味を減少又は緩和させることを見い出し,本件発明を完成するに至った(【0004】)。

     この発明によれば,酸味を呈する製品に,スクラロースを甘味の閾値以下の量で用いることを特徴とする酸味のマスキング方法が提供される(【0005】)。

    エ 発明の実施の形態

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・(省略)・・・・・・・・・・・・・・・・

     スクラロースは,微量で甘味を呈する合成の高甘味度甘味剤である(【0007】)。

     甘味の閾値とは,甘味物質の甘味を呈する最小値であるが,必ずしも絶対値として表わされない。つまり,本件発明者らの試験によれば,クエン酸(結晶)0.1%水溶液に対するスクラロースの甘味の閾値は0.00075%,0.3%水溶液に対する閾値は0.003%であることが確認されている。このため,甘味の閾値は,製品中の酸味の種類あるいは強弱,塩味あるいは苦味などの他の味覚又は製品の保存あるいは使用温度などの条件により変動すると考えられるが,一般に甘味剤として使用する場合の量よりも小さい値である。したがって,本願における甘味の閾値以下の量とは,甘味を呈さない範囲の量であればよい。また,最少量は甘味の閾値の1/100以上の量で用いることが好ましい(【0008】)。

     以上のような方法で通常より少ない量のスクラロースを用いて,本件発明は簡便に過剰な酸味を減少又は緩和し,さらに酸による様々な効果を保持しながら酸味の減少又は緩和に伴う味覚の改善を図ることができる。また,製品中の酸味剤の種類によっては,その刺激的臭気などを減少又は緩和することができる(【0010】)。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・(省略)・・・・・・・・・・・・・・・・

    ⑵ 本件発明の特徴

     酸味は,塩味,苦味,甘味などとともに総合的な味覚の完成に重要な要素であるが,酸味を必要以上に要しない,あるいは酸味を呈しない方がよい場合には,従来,酸味剤以外の味覚成分などを大量に併用し,酸味を抑える方法が広く行われていた。しかし,この方法では,食品の本来の風味又は物性が変わるなどの問題があった。

     本件発明は,醸造酢を含有するドレッシング,ソース,漬物,及び調味料からなる群より選択される製品において,スクラロースを,甘味の閾値以下の量に当たる該製品の0.0028~0.0042重量%の量で添加することを技術的特徴とするものであり,製品の物性等に影響を及ぼすことなく,製品の過剰な酸味を減少又は緩和することができるという効果を奏するものである。

     本件発明の実施例には,スクラロースを,ピクルスに0.0028重量%(実施例2),おろしポン酢ソースに0.0035重量%(実施例3),青じそタイプのノンオイルドレッシングに0.0042重量%(実施例4)の量で添加した処方が記載され,いずれの製品においても,スクラロースにより過剰な酸味がマスキングされ,酸味が減少又は緩和された製品が得られている

    2 取消事由1(進歩性に関する判断の誤り)について

    ⑴ 引用例の記載

    ア 特許請求の範囲

     酸味の強い調味料又は食品の製造において,最終製品濃度で1~200mg%のα-L-アスパルチル-L-フェニルアラニンメチルエステルを添加することを特徴とする酸性調味料又は食品の製造法

    (筆者注:α-L-アスパルチル-L-フェニルアラニンメチルエステルは「アスパルテーム」である。)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・(省略)・・・・・・・・・・・・・・・・

    ⑵ 引用発明及び本件発明との対比

     引用発明,本件発明と引用発明との一致点及び相違点が,本件審決の認定したとおり(前記第2の3⑵)であることは,当事者間に争いがない。

     したがって,本件発明と引用発明とは,「製品の含有する食酢が,本件発明では醸造酢であるのに対し,引用発明ではそのような特定はない点」(相違点1)及び「酸味のマスキング剤が,本件発明ではスクラロースであり,その添加量が製品の0.0028~0.0042重量%であるのに対し,引用発明ではアスパルテームであり,その添加量が製品濃度で1~200mg%である点」(相違点2)において相違する。なお,1~200mg%=0.001~0.2重量%である。

     このうち相違点1については,引用発明には対象となる酸味の強い食品,調味料の例として「醸造酢,ビネガー,合成酢等の食酢,すし酢,合せ酢等の加工酢」が挙げられている(前記⑴イ(イ))ので,当業者において,引用発明の食酢として醸造酢を用いることは容易に想到することができたものであり,被告も明らかに争わない。

     そこで,以下,相違点2に係る容易想到性について検討する。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・(省略)・・・・・・・・・・・・・・・・

    ⑷ 相違点2の容易想到性

    ア 前記⑶イのとおり,各文献には,ショ糖の約650倍の甘味を有する非代謝性のノンカロリー高甘味度甘味料であるスクラロースが,アスパルテーム,ステビア,サッカリンナトリウム等の他の高甘味度甘味料と比較して,甘味の質においてショ糖に似ているという特徴があることから,多くの種類の食品において嗜好性の高い甘味を付与することが見込まれているとの記載があり,加えて,前記⑶アのとおり,本件出願前に,ショ糖や,アスパルテーム,ステビア,サッカリンといった慣用の高甘味度甘味料が酸味のマスキング剤としての機能を備えることが,当業者に周知であったことからすると,引用発明のアスパルテームに代えてスクラロースを採用してみることは,当業者が容易に想到することができたというべきである。

    イ また,前記⑶イのとおり,各文献には,スクラロースをその甘さが感じられる閾値より低い濃度で用いた場合でも,塩なれ効果,卵風味の向上効果を奏すること,製品100重量部に対して0.0001〜0.1重量部(製品に対して0.0001~0.1重量%)のスクラロースを用いた実施例によれば,カプサイシン0.001%のとき,甘味度が0である0.0001重量部(同0.0001重量%)又は0.005重量部(同0.005重量%)で辛味増強効果を奏すること,スクラロースの甘味を感じさせない0.0025重量%のアルコール/スクラロース水溶液でエチルアルコールの苦味の抑制効果を奏することの各記載がある。

     以上の記載によれば,スクラロースの添加については,向上させようとする風味や製品によって使用量は上下するものの,下限値として,製品に対して0.0001重量%,0.0025重量%,0.005重量%で用いたものなどが知られており,スクラロースの甘味を感じさせない量であっても製品の風味の向上が可能であることを当業者は認識していたものと認められる

     他方,引用例には,アスパルテームによる酸味緩和効果を得るための下限値として1mg%(0.001重量%),1.5mg%(0.0015重量%),5mg%(0.005重量%)が挙げられ,上記のスクラロースと同様のレベルの使用量で酸味のマスキングが行えることが記載され,更に,アスパルテームの甘味により,食品・調味料の呈味バランスが崩れないようアスパルテームの添加量は食品・調味料の種類に応じ,適宜設定すべきであるとされている

     また,酸味のマスキングは,甘味の付与を目的とするものではなく,所望の酸味のマスキング効果を奏する場合には,甘味がつきすぎて味のバランスが崩れることがないように,甘味料の使用を減らすことは考えても,増量することは考えないから,スクラロースを酸味のマスキング剤に使用する場合であっても,当業者は,酸味のマスキングが実現可能な低い濃度でスクラロースを使用することを指向する。

     そうすると,スクラロースを,引用発明の食酢を含む食品(ドレッシング,ソース,漬物,及び調味料などの製品)における,酸味のマスキング剤として使用するにあたり,酸味緩和効果が得られるものの,スクラロースの甘味により前記製品の旨味バランスを崩さない濃度範囲のうち低い濃度を,製品ごとに選択して,スクラロースの従来の使用濃度である0.0001~0.005重量%に重複する0.0028~0.0042重量%という濃度範囲に至ることは,当業者に容易であったということができる

    ウ そして,本件明細書の実施例2~4を参照しても,0.0028~0.0042重量%の濃度範囲を境にして,当業者の期待,予測を超える格別顕著な効果を奏しているとは評価できない

    エ 以上によれば,アスパルテームを製品濃度1~200mg%(=0.001~0.2重量%)で添加する引用発明から,スクラロースを製品の0.0028~0.0042重量%で添加することは,容易に想到することができたものである。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・(後略)・・・・・・・・・・・・・・・・

    <4> 審決との関係

     無効2014-800118号では、次のとおり本件発明(審決時のもの)の進歩性を肯定する審決が為された。なお、本件発明と引用発明との一致点及び相違点の認定は、特許庁と裁判所とで相違しない。すなわち、審決においても、本判決と同様に相違点2に係る構成の容易想到性が争われた。

    『・・・アスパルテームやショ糖・・・ステビア・・・サッカリンによって酸味を緩和させることが記載されている。しかし、スクラロースを甘味の閾値以下の量で添加することにより酸味を緩和できることについては、上記いずれの文献にも記載されていない。そして、甲第1号証は、酸味のマスキング剤としてアスパルテームのみを対象としており、それ以外の酸味のマスキング剤の使用を意図していないこと(略)、および、「トレハロース」のように醸造酢の酸味は増強する甘味料も存在する(略)ことからすれば、・・・ショ糖やアスパルテームやステビアやサッカリンに酸味を緩和する効果が認められるとしても、高甘味度甘味料一般が酸味を緩和させる効果を有することまでは導き出すことはできない。よって、甲1発明のアスパルテームをスクラロースに置き換えることが当業者にとって容易であるとはいえない。』

     上記のように、審決では、アスパルテームをスクラロースに置き換えることの動機付け論のみが検討され、スクラロースを使用することによる効果の顕著性は検討されることなく進歩性が認められた。

     一方、本判決では、スクラロースとショ糖とは甘味の質が似ているという事実を前提に、アスパルテーム、ショ糖等の慣用の高甘味度甘味料が酸味のマスキング剤としての機能を有することが公知であったことから、アスパルテームをスクラロースに置き換えることは容易であると判断された。その上で、数値限定の臨界的意義を証明する実施例が十分ではなかったことなどから、最終的に進歩性を否定する結論が導かれた。

     スクラロースは、アスパルテームとは構造上の相違が大きいものの、ショ糖とは非常によく似た構造を有している。勿論、よく似た構造であるというだけで常に化合物の性質までもが近似すると類推することできないが、本件では、スクラロースがショ糖と同様の甘味の質を呈することまで知られていた。そのため、スクラロース自体に酸味を緩和する効果が知られていなかったとはいえ、他の慣用的な高甘味度甘味料と同列に並べられ、引用例のアスパルテームと置き換えることが容易であったと判断されたものと考えられる。

    <5> 実務上の指針

    本件では、スクラロース自体に酸味を緩和する効果があることまでは公知となっていなかったことから、酸味以外の風味を向上することが可能な公知の数値範囲と重複していたとしても、そこに臨界的意義が存在すれば、進歩性が肯定される余地は少なからずあったものと思われる。

    近年、機能性表示食品や食品用途発明に係る出願が従来に比して増加し、食品分野の審査がやや厳しくなっている傾向にある。したがって、将来的に数値範囲の限定を迫られることを想定し、出願時に可能な限り十分なデータを取得して審査に耐え得る実施例を用意することが今後さらに重要となることであろう。

    以上

     

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